「在宅介護者4人に1人「軽い鬱」 老老介護は3割「死にたい」」
施設に頼らず、自宅で高齢者の面倒をみる在宅介護。「親孝行」や「家族思い」に見えるが、介護者本人はさまざまな問題や悩みを抱えているのが現実だ。
厚生労働省の研究班が平成18年にまとめた報告書によると、在宅介護者の4人に1人が軽い鬱(うつ)。さらに、介護者の年齢が50歳前後の場合で約2割、65歳以上のいわゆる「老老介護」では約3割が「死にたい」とまで考える状態にあるという。
報告書では「介護によって介護者が新たな病になれば、社会の向上や経済的コスト軽減には至らない」と指摘している。
介護保険事業では、市区町村に最低1つの「地域包括支援センター」が設けられ、介護者が孤立しないように専門家が相談・調整する体制がとられている。しかし、急速に進む高齢化に、体制整備が追いつかない面もあるのが現実だ。
(産経新聞Iza! 2009/04/22 23:17)
「親に介護が必要になっ たら、月2万円は負担してもよい 半数が「週1コミュニケーションを実行【電通調べ】」
電通が親の介護についての意識調査を行ったところ、自分が頼りにされることはわかっているが、経済面・精神面で不安を抱えている人が多いことがわかった。
電通は、親の高齢化・介護についての意識調査を行い、高齢の親を持つ子ども(45~64才)800名から回答を得た。回答者の21.4%が同居、38.6%が近居、 39.4%が遠居で、年齢が若くなるにしたがって、近居の割合が高くなっている。
親に介護が必要になった場合、男性は経済的な負担増を、女性は精神的な負担増と自分の生活スタイルの変化を心配する傾向がある。
親への心配は自分の加齢とともに強くなり、92%が親のことを気にかけている。親とのコミュニケーションでは、54%が電話やメール・会話を通じて「週1回以上」連絡をとりあっている。
親が寝たきりになった場合、回答者の54%は「自分を頼りにするだろう」と自覚しているが、75%は「介護の知識が十分でない」と認識。 要支援や 要介護の親をもつ人でも7割が十分でないと感じている。いざというときには外部サービスを利用しながら面倒を見ることになるが、月2万円くらいであれば、 親のために負担してもよいという心構えが見られた。
(MarkeZineニュース2009/11/10 14:35)
この2つの記事、身につまされます・・・。
先日の記事にも書いたように、母には「夫の世話は自分がしている」(=主介護者)という意識があります。実際には私がほとんど実家に常駐し、家事の大半と父の介護をしているからこそ、母も(辛うじて)自立状態を保っているのですが・・・。
しかし、自立とは言っても、実際にはかなり怪しいです。身体的には帯状疱疹と眼底出血の前歴もありますし、高血圧なので何が起きてもおかしくない。さらに、最近の言動を見ると、初期の認知症も疑わしいのですが、もともとがマイナス思考の人ですから介護鬱になっているのかもしれません。
もう一つ問題なのが金銭問題。介護生活に加え、不況などの影響もあり、私の仕事が減ってきているため、老親の蓄えも食い潰しているような状況です。もちろん、そのまま安穏としているわけではなく、せっかく蓄えた介護のノウハウを生かし、新たな展開も図っているところなのですが、新規ビジネスは一朝一夕には進みません。とりあえずは、3世帯全体で考え、現在と将来の生活を守っていくしかないのです。
ところが、そこで問題となるのは母の感情に任せた言動です。まずは、父や祖母(父の母:故人)に対する恨み辛み。
「あの人(父)は昔から、こうだったのよね。姑(祖母)も・・・・、所詮、○○家は・・・・」 と罵倒し始めると止まりません。
あのぅ、私、そのDNA、持っているんですけど・・・(^^;)
それに、あなた自身も同じようなものなんですよ・・・。十数年前、あなた達夫婦と私の夫婦、壮絶なバトルしたことがあったのを覚えてないの? (もっとも思い出して欲しくはありませんが・・・)
聞かされる度に、嫌になります・・・。
さらに、その母の世話にも時間を取られる「二重介護」を強いられ、思うように仕事の準備ができない私に、時々母から浴びせられるヒステリックな言葉が、私の心を深くえぐり、妻の心を傷つけるのです。
具体的な内容は省略しますが、私の妻(嫁)に対してはとくに酷く、自己中心的な考えに凝り固まってしまったようです。
実の息子である私でさえ耐え難いほどの罵倒ですから、もともと他人であった妻が耐えられるはずもありません。
もちろん、自身の老化と介護絡みの諸問題に対する不安が悪態をつかせるのでしょう。
そこに理路整然とした話はなく、その場その場の感情的でキツい表現では話し合いの余地もありません。もっとも、何らかの反論をすれば、火に油を注ぐようなものですし、かといって言わせたままにしておくと本人は自身の言葉でさらに興奮しますから、血圧のことを考えるとそれも好ましくありません。唯一の対処法は、その場を離れることなのです。
それでも、相手をしているのが私ならまだマシです。実子ですから、どんなにキツイ言葉を投げかけられても、逆に私がキレて怒鳴ったとしても、親子の縁は切ることができないからです。
しかし、妻の立場は違います。姑の理不尽な言葉を浴びせかけられても、それに耐えるしか道がないからです。
さらにそれが繰り返されれば、私たち夫婦の危機にも繋がってしまうということで、数年前から妻には母との直接接触は避けて貰うことにしました。実家への訪問はもちろん、電話で話すこともせず、全てを私が仲介する形で対応することにしたのです。
実は、この種の対応は二度目です。前述した祖母(父の母:故人)の性格の問題から、私が結婚したときも祖母へは一切知らせておらず、妻が初めて祖母の顔を見たのは、祖母が亡くなった時でした。
こんな経緯もあり、私自身がほとんど実家に常駐し、義父母の役所関係の手続きや自宅での用事のために一時帰宅する程度という生活パターンにならざるを得ませんでした。
ところが、それもまた母にとっては面白くないことの一つなのです。大事な一人息子が「嫁の両親を同居させている」「自分たちの世話を休んで妻の両親のために動いている」ことが不愉快なのです。もちろん、妻が顔を出さないことも面白くありません。
ふとした拍子に、「嫁のくせに、ちっとも顔を出さない」「自分の親の方が大事なんだろう」と不満を言い出します。終いには「あんたたち、別れなさい。あんたの面倒ぐらい私が見てやるから」とまで・・・。
とくに最近の母は感情の起伏が激しくなりました。そして、その度に私に対してキツイ言葉を投げかけます。これ以上、このままの状況にしておいたら、私自身が介護鬱になり、悲惨な事件すら起こしかねません。
この閉塞した状況を、なんとか打開しなければ明るい未来はない!と言うわけで、とりあえずは私が(新たなビジネスのために)動きやすい環境を作ることを決めました。具体的には、母の要介護認定を受け、母にも介護サービスを利用して貰うことです。
と言っても、前回も書いたように「いくつかの身体的な問題は抱えているし、認知症の方も怪しい気はするものの、基本的には年相応以上の健康さ」なので、普通に「要介護認定調査」を求めても自立判定しか出ないでしょう。
しかし、「(同居家族ではない)私が連日実家を訪れ、実質的な介護をしている」事実や「介護鬱あるいは認知症(初期)と思える言動が増えた」こと、帯状疱疹や眼底出血などの持病もあり、介護サービスを利用しなければ限界に来ていることなどを訴えれば、過去の経験から考えて「要介護1」なり「要支援」の認定を受けることはできそうな気がします。
と言うわけで、母の要介護認定取得に向けて動くことを決意しました。
最近のコメント