介護家族向けと介護職向けの二つの「“認知症”介護」への心得を書いてきましたが、介護に関わるキーパーソンでありながら、このブログには未だに登場しない人物がいます。それは「“避”介護親族」です。
というわけで、今回は「“避”介護親族」向けの「“認知症”介護」への心得を書いていきます。
「“避”介護親族」とは、介護家族の親族でありながら、様々な理由を付けて、直接的な介護に参加しないだけでなく介護を避ける人を指した私の造語です。
もっとも、遠方に住んでいるなどの事情で、介護に参加したくてもできない人はいるわけですが、同居する自分の親なのに「俺は仕事があるから・・・」と妻に介護を任せっきりの夫、「(自分は)嫁いだ人間だから・・・」と嫁に押しつけたままにする小姑などです。
それでも、「介護から逃げている」だけなら、まだマシです。そんな「“避”介護親族」は存在しない、既に死んでしまったぐらいの意識でいればいいのですから・・・。(我が家の場合、私が一人っ子だし、妻も音信不通の兄がいるだけなので、まさにこの状態。ある意味ラッキーでした。)
一番厄介なのは、自分自身では介護をする気もないのに、介護に関して口を挟む「“避”介護親族」、いえ、「介護“妨害”親族」の存在です。
麻痺などで身体介護が必要なケースなら、見た目だけでもある程度大変なのは理解できるのでしょうが、身体介護の必要がない“認知症”だけの場合、実際に介護したことのない「“避”介護親族」には介護の大変さなど理解できないのは当然です。
しかし、在宅介護者に対して、「△△を食べさせてあげて!」、「まだ元気に動けるんだから、散歩ぐらい行かせてあげたら?」「どう見ても“認知症”なんかじゃない。もっと優しくしないから、(本人が)怒るんだ」などの言葉を介護家族に投げかけていませんか?
当人にしてみれば「介護に参加している」ぐらいのつもり(介護しないことへの言い訳?)なのかもしれませんが、認知症を理解していない人の意見は的はずれだし、迷惑な“妨害”でしかないのです。
「介護疲れ」という言葉ぐらいは聞いたことがあるはずです。そして、「介護疲れした家族による不幸な事件」が数多く起きていることもご存じのはずです。“妨害”だけで済めばマシですが、その安易な一言が、不幸な事件の引き金になることに気づいてください。そんなことになれば、本末転倒、「被介護者への優しさ(?)」が仇になるのです。
事件こそ起こさなくても、一言口を挟む度に介護家族が「在宅介護を諦める」日を1日ずつ早めていることは間違いありません。
「一日でも長く在宅で暮らさせたい」と考えるなら、中途半端な認識で意見を述べることは止めてください。
どうしても意見を言いたいと思うなら、その前に在宅介護がどれだけ大変なことなのかを勉強してください。
在宅介護する介護家族は、1年365日、1日24時間、気を抜くことができないのです。設備の整った施設で働く介護職(プロ)には、休日もあるし、勤務時間も限られているのに、介護家族は眠っているときですら気を抜くことができないのです。
それに認知症は、介護職(プロ)でさえ気づかないことがあるほどの病気です。日頃の接触が少ない「“避”介護親族」には気づけないのは当然です。
勝手な意見を押しつける前に、一度介護家族の大変さを実感してみてください。2~3日、同居してみれば様子はわかるはずです。何も被介護者を自宅に連れて行く必要はありません。介護家族の家庭に宿泊し、介護を代行してみればいいのです。
そんなこともしないで、いい加減な言葉を投げかけるのは止めましょう!「手を出さぬなら、口も出すな!」なのです。
手は出したくないが、介護に関わりたいのなら、「お金」を出してください。介護にはお金がかかります。介護家族が介護に専念できるよう、金銭的な援助をすればいいのです。そうすれば、ショートステイなども利用しやすくなりますから、少しでも長い間在宅介護が続けられます。
それでも、いずれ在宅介護の限界は迎えることになります。その時は、介護施設への入所にも同意してあげてください。いえ、同意するだけでなく、被介護者が快適に暮らせる介護施設を探すお手伝いをしてあげてください。
長年、自分たちで在宅介護をしてきた介護家族の方が、「“避”介護親族」よりも辛いのです。弓折れ、矢も尽きて、憔悴の中で敗北感や罪悪感を持ちながらも介護サービスに送り出す介護家族を癒すのは「“避”介護親族」の仕事です。「ここまで、よくやった」「もう頑張らなくていいよ」と優しい言葉を掛けてあげてください。
さもないと、あなたも道連れに、不幸な事件が起きるかもしれませんよ。自身が直接的な被害に遭わなくても、加害者&被害者の親族として、近隣の方の目に晒されることになります。そうなりたいですか?
2009年12月22日 追記
最後に、一つ興味深い介護日記をご紹介します。「人間(こころ)が壊れるとき」です。
これは、ある女性が姑の介護をしていたときの壮絶な戦いの記録です。献身的な介護を続けながらも、夫の協力も得られず、介護殺人寸前までも経験し、最終的には離婚で平穏を取り戻したという話なのですが、夫が介護に理解を示していたら・・・、一緒に介護と取り組んでくれていたら、ハッピーエンドになった可能性もあるのかなと思いながら読んでいきました。(実際にはそうならない事情も描かれていますが・・・)
それにしても、介護を嫁に押しつけて、自分自身は逃げている夫・・・。これが一番最悪の「“避”介護親族」ですね。何しろ、他人の目には「優しい介護家族」を装っているのですから・・・。
目を背けてばかりいると、やがて手痛いしっぺ返しがありますよ。その日になってから後悔しても遅いのです。
それを知るためにも、上記は読んでみてほしいと思います。
[this is good] こんばんは。介護施設事業の責任者をしていたときに、悩まされたことを思い出しました。在宅介護の頃も、きっと口だけ出して、実際の介護者を苦しめていたんだろうな、とおもいました。
「人間(こころ)が壊れるとき」は、よませていただいた記憶があります。
最近図書館で、介護関係の本を乱読していますが、ブログの方がリアル感がありますね。
投稿情報: 八歩 | 2010/01/15 09:42
最近、mixiやtwitterで目にするのが、「“
避
”介護親族」に振り回される「介護家族」からの相談です。
実際には個々の事情が異なるので、画一的なアドバイスは無理なのですが、せめて道筋を見つけ易いよう街路灯程度の話が書けないだろうかと悩んでいます。
今のところ、「
介護疲れしない認知症介護のために…
」からの一連の記事で、「このような目に遭っているのは自分だけではないんだ」と感じて貰うことぐらいしかできませんが、前向きのアドバイスも考えてみたいと思っています。
投稿情報: 快互師(kaigo) | 2010/01/15 09:54